多様性(ダイバシティ)促進多様性(ダイバシティ)の定義

多様性(ダイバシティ)の定義

法学館が考える多様性とは

私たちは、多様性(ダイバシティ)を「人は皆同じ 人は皆違う」と定義します。
多様性(ダイバシティ)の定義なのに「同じ」ことが基本に置かれているのはおかしいと思われるかもしれません。しかし、憲法の考え方から導くとこのようになります。
人は皆同じ人間です。等しく人権があります。現在多くの人が多様性(ダイバシティ)を意識しているのは、本来的に人が皆同じことに気付いているからではないでしょうか。
また同時に人は皆違う人間です。たとえば日本人の男性と限定しても皆違います。それはそうだろうと思う方もいるでしょう。その通りです。性別に限らず、民族に限らず、皆違うのです。特定の属性の違いだけを多様性(ダイバシティ)として扱うのではなく、等しく違うと考えるべきです。
私たちはこの「人は皆同じ 人は皆違う」という考えに基づいて、教育や人事制度を考えてゆきます。

共通点をさがす

多様性(ダイバシティ)を考える際、違いを強調する前に、共通点を意識する必要があります。共通点があるから違うことを受け入れることができる。逆に、共通点がなければそれは恐怖であり排斥につながります。そう考えると、人間としての価値・尊厳は皆同じ。すべてのものを超えて皆同じです。つまり、人間としての共通点があるからこそ、多様性(ダイバシティ)を理解できる、違いを認められるのです。
例えば、見かけは違うが同じ考えだから安心。見かけも考え方も違うが同じ民族だから安心。こう考えていけば、人間だから安心できる、といえるでしょう。

知性を働かせて本質を見る

したがって、見かけ(の属性)だけで判断してしまうことなく、本質を見なければなりません。また、本質を見るためには知性が必要となります。同じであることを知性により理解するのです。一定のレベルにおいて知性、想像力が要求されることになります。知性、想像力が欠けると、見かけだけで判断してしまうことになり、これでは多様性(ダイバシティ)は進みません。
例を挙げると、江戸時代の日本は藩に分かれていました。考え方が「違う」、という点からお互い排斥していました。しかし、時が経つにつれて交通網の発達・情報の流通によりお互いをよく理解できるようになると、「同じ」日本人という意識が生まれてきました。この考え方を敷衍すると、次は「同じ」アジア人、さらには同じ人間、と共通点を見いだせるはずです。
ある人は「私の目には、肌の色は映りません」といいました。彼には「肌の色」という見かけだけではなく、お互い同じ「人間」であるという本質が見えているからこそ、このような発言をすることができたのです。知性を高めることで、本質を見ることができたのです。

多様性は共存の基本概念

この考え方を推し進めていけば、「同じ」人間どうしで殺し合うのはやめよう、といえるでしょう。さらに、人間という立場を超えて、「同じ」命であるという共通点を見ることができれば、他の動物、植物も人間と同じ、つまり環境の大切さを理解することができます。
この意味で、多様性(ダイバシティ)は平和・環境保全等共存の基本概念であるともいうことができます。

違いを認め合う社会

違いを超えた共通点を見いだす、理解するには、知性を高める必要があることを先にお話しました。ではどうすれば知性を高めることができるのでしょうか。一般的に行動範囲を広げること、いろいろな経験を重ねることで自分の視野を広く持つことは有用でしょう。そして私たちは、みなさんが知性を高めるためのお手伝いをしたいと考えています。
知性を使って、違いを超えた共通点を見いだすことができれば、当然に性別・年齢・ライフステージ等による違いも受け容れることができるでしょう。
私たちの願いは、個人が自分らしく生きることができて、かつ、そのことを認めることができる社会を実現することです。このような社会なら、世界の幸せの総量は、もっともっと増やしていくことができるはずです。

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